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東京地方裁判所 平成7年(ワ)12518号 判決

原告(反訴被告)

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

河合弘之

奈良次郎

清水三七雄

河野弘香

本山信二郎

船橋茂紀

松井清隆

木下直樹

被告(反訴原告)

乙山次郎

右訴訟代理人弁護士

早川晴雄

主文

一  被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、金一〇〇万円及び内金九〇万円については平成六年三月四日から、内金一〇万円については平成七年三月四日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告(反訴原告)は、別紙一記載の謝罪広告を、別紙二の二記載の掲載条件で掲載せよ。

三  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、金一〇万円及びこれに対する平成八年一月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告(反訴被告)及び被告(反訴原告)のその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は、本訴反訴を通じてこれを四分し、その一を原告(反訴被告)の、その余を被告(反訴原告)の各負担とする。

六  この判決は、第一、三項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

(本訴)

一  被告(反訴原告。以下「被告」という。)は、原告(反訴被告。以下「原告」という。)に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成六年三月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、別紙一記載の謝罪広告を、別紙二記載の掲載条件で掲載せよ。

(反訴)

一  原告は、被告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成八年一月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、別紙三記載の謝罪広告を、別紙四記載の掲載条件で掲載せよ。

第二  事案の概要

一  本件は、日本体育大学の教授である原告が、同大学の学長である被告から、学長職の辞任を強要したとして誣告され、名誉を毀損された等として(本訴事件)、また、被告が、原告から学長職の辞任を強要され、名誉を毀損された等として(反訴事件)、それぞれ、慰謝料及びこれに対する不法行為後の日からの遅延損害金の支払い並びに謝罪広告の掲載を請求した事案である。

二  前提となる事実

次の事実は、当事者間に争いがないか、各文末記載の証拠により認められる。

1  原告は日本体育大学(以下「日体大」という。)の教授であり、被告は平成四年から同大学の学長を務めている。原告は、昭和五七年と平成元年に学長選挙に立候補したことがあり、平成七年の選挙においては、被告と学長の座を争った。(原被告の各本人尋問の結果)

2  学校法人日本体育会(以下「日本体育会」という。)には、日体大のほか、日本荏原高等学校(以下「日体荏原高校」という。)を含む四校の高等学校等が併設されており、Kは、昭和五九年四月から平成七年三月まで日本荏原高校の校長であった。(乙三二、K証言)

3  週刊ポストの平成五年六月一一日号には、フリーライターであるI(以下「I」という。)らの取材をもとに、原告が、日体大の教職員組合総会において、推薦入学をめぐる被告の疑惑を告発したこと等を取り上げた記事が掲載された。右の推薦入学をめぐる疑惑とは、日体荏原高校から一般推薦を受けた生徒Aの成績が推薦合格の基準に達していなかったため、被告がKに自ら電話をして、右条件を満たすように同生徒の成績を見直すことを依頼したことがあり、また、学長推薦の制度によって合格した生徒Bよりも成績の高かった生徒が同推薦枠により入学できなかったことの背景に、日体大に大きな影響力を有する人物が生徒Bを推薦したという話があり、原告が被告にその推薦者の氏名を明らかにするよう求めたが、被告はこれに応じておらず、不透明な選考であったというものである。(甲五の1、2、乙六)

4  原告は、平成五年六月中旬ころ、「調査報告書の送付について」(以下「書面(一)」という。)と題する書面を作成し、これに原告が作成した「報告書」(以下「書面(二)」という。)を添付して、日体大の教職員の一部に送付した。

書面(一)には、原告において認知した事実経過が記載され、右記載とともに、一連の不祥事の原因は、被告とその周辺の私情権益に基づいた大学の私物化やファッショ的運営にあり、学長の任期を果たさせるよりも大学の名誉、信頼を一日も早く回復させ、大学の真の自治を取り戻すことが優先されなければならないこと、己の非を正当化しようとする隠蔽行為は許されず、大学の自浄能力、自治機能が存在することを世間に知らしめて、大学の信頼を回復する必要があることなどが記載されている。

また、書面(二)には、原告において認知した事実経過が記載され、右記載とともに、同窓実子枠の不正入試合格の不祥事については被告の進退を明確にさせる必要があること、不祥事を起こした本人が、自らの不徳を暴いた犯人捜しに「特別問題対策委員会」を設置するのは言語道断であること、被告とKが、成績内申書を改ざんした経緯を記したKの報告書中の「学長が改ざんを依頼した」という記載は事実に反するとKに迫って、その点を書き換えさせるという公文書偽造・私文書改ざん強要があったこと、生徒B以外の学長枠による推薦一次合格についても疑惑が生じていることなどが記載されている。(甲八、一〇、乙七の1、2)

5  ところで、被告に数々の不徳行為や不正行為があることを記した、作成名義人の表示がないいわゆる怪文書(以下「書面(三)」という。)が存在する。右書面には、被告について、暴力団との交際が深く、複数人から不正入試の依頼を受け、謝礼をもらっており、そのやり口は暴力団顔負けだと言われていること、大学職員である愛人と組んで不正入試に関する悪事を働いたことがあること、ある生徒が某校に入学するに当たって、現金・接待・贈り物等で八〇〇万円以上の費用を支払わせたこと、不正疑惑や文書の改ざんをしたこと、大学の諸業者と癒着していること、業者との間で多額の金銭を受領した被告らが日体大の学生食堂を閉鎖したこと、ラグビー協会から部に還元された多額の金員を横領したこと、学内で四回の不倫や学生二人との女性関係などがあること、日体大のある女性教授について、何千万円もらっても相手をすることはないと教授達に話したことなどが記載されている。(乙四の1ないし10、乙七の3)

6  被告は、平成六年一月一〇日、警視庁玉川警察署長に対し、原告を含む日体大関係者五名及びIを共同被疑者として告訴した(以下「本件告訴」という。)。その告訴事実は、被告訴人らは、被告を学長職から追放しようと意を通じ、日体大の平成五年度入学試験に際して、日体荏原高校が日体大に提出した推薦入学者Aの成績表をKが被告の示唆により一部訂正して再提出したことを知るや、他の被告訴人らの意を体したKが、平成五年四月一四日、被告に対して、「本日、週刊ポストのIという取材記者が荏原高校校長室に来て、私に対し、『今回の日体大の入学試験で荏原高校から推薦入学した生徒Aの件について不正があるだろう。荏原高校から日体大に提出した生徒Aの成績表を改ざんしただろう。その不正については甲野教授が生徒Aの担任の先生に電話して確認をとっている。その成績表の改ざんをするについては、乙山学長からK校長に電話があったからやったとのことだが、成績表の改ざんについて乙山学長やK校長が関与しているということは大変な問題だ。文部省が知ったらK校長の進退にも関わる問題だけれども、俺の取材の目的は乙山学長を学長の座から引き降ろすことにあるのだ。四月二六日発行の週刊ポストに、この不正入試の件を載せる予定だ。入稿は四月二一日だ。しかし、乙山学長が四月二一日までに学長を辞めるならば、この入試問題は週刊ポストに取り上げないことにするから、それまでに乙山学長が学長を辞めるようにしてくれ。もし乙山学長が学長を辞めなければ、学長もK校長も同罪だから、K校長も名前入りで週刊ポストに取り上げる。』と言っている。そうなると大変な騒ぎになるし、私も荏原高校の校長を辞めなければならないことになる。四月二一日までに乙山学長が学長を辞めるかどうか、Iに返事をしなければならないことになっているから、何としてもそれまでに学長に辞めてもらいたい。」と執拗に申し向け、被告がIの要求を拒否して学長職にとどまるときは、被告、生徒A及び日体大の名誉、信用が著しく害されるものと被告を困惑畏怖させることによって、被告に学長職を辞任させようとして、公然と虚偽の事実を摘示して被告の名誉を毀損するとともに、被告を脅迫して義務のないことを行わせようとした、というものであった。

東京地方検察庁は、原告及び被告に対し、平成七年一月一七日付で、右告訴事件を平成六年一二月二七日に不起訴処分(以下「本件不起訴処分」という。)にした旨通知した。被告は、東京高等検察庁に対し、右不起訴処分について不服申立てをしたが、その後、右不服申立てを取り下げた。(甲九、二二、乙一、一五、一七)

7  原告は、「『学長乙山次郎氏の身分について』の団交申し出のお願いについて」と題する平成七年二月五日付の書面(以下「書面(四)」という。)を作成し、日体大教職員組合の阿部委員長に送付した。

書面(四)には、本件告訴に係る強要未遂・名誉毀損被疑事件は不起訴処分となり、原告らの人権が擁護され、社会的地位、名誉及び安全が保証されていること、被告が右不起訴処分に対して不服申立てをしたことによって、一度なされた不起訴処分が撤回され、被疑者の事情聴取等の捜査が継続されることはないこと、被告が「引き続き係争中」と言うのであれば、逆に被疑者から人権侵害や名誉毀損の誣告罪で被告が訴えられる理由になること、原告らは、学長の任命権者である体育会理事長に対し、「学長にたいする懲戒処分の要求具申書」を提出したこと、不起訴処分がなされた以上、教員の身分を扱う人事委員会は、同僚を告訴し不起訴処分に対して不服申立てをした被告の行為を懲戒すべきであり、被告は、学長職はおろか、教員としても不適格者であること、教職員組合の執行委員会においても、この問題を取り上げて理事長に対して団体交渉をすべきことなどが記載されている。(乙二、八の1、2)

8  被告は、右書面(四)に対して、平成七年三月二日付で、「甲野太郎から阿部教職員組合委員長宛に出された『学長乙山次郎氏の身分について』の団交申し出のお願いについてと題する書面について」との表題が付された書面(以下「書面(五)」という。)を日体大教職員組合の阿部委員長や原告に送付した。

書面(五)には、原告やIらが、検事に対して犯行を否認した上、口裏を合わせて虚偽の弁解をし、K一人に責任をなすりつけたために本件告訴に係る強要未遂・名誉毀損被疑事件について不起訴処分がなされたが、原告らの犯罪行為は、証拠上明白であり、犯情から言っても「起訴相当」の事案であること、被告らの虚偽の弁解に眩惑されるなどして十分な捜査が行われずに、不起訴処分がなされたため、東京高等検察庁に不服申立てをしたことなどが記載されている。(甲六の1ないし3、乙三)

三  本訴請求について

1  原告の主張(請求原因)

(一) 原告は、被告の女性関係の不始末、公私混同、不正入学等の不徳行為が週刊誌などで報道されたことから、その不徳行為が真実であれば日体大の学長としてふさわしくないので、真実を明らかにすべきであると主張したところ、被告は近くに迫った平成七年の学長選挙において不利になると考え、原告に反撃するために本件告訴をした。本件告訴事実は真実と異なり、しかも、原告が被疑事実とされる強要未遂罪を犯したことについて十分な証拠上の裏付けがなかった。

被告が原告を被告訴人として本件告訴をしたことは、直ちに学内で周知の事実となり、原告は強要未遂事件を犯したと疑われた。また、原告は、警視庁玉川警察署及び東京地方検察庁において二回にわたり被疑者として取調べを受けるなどして、耐え難い精神的苦痛を受けた。

(二) 被告は、原告らが強要未遂罪を犯したことを強調した書面(五)を、多数の日体大関係者に送付した。右書面の記載内容は真実に反し、原告の名誉を毀損するものである。

原告は、右書面の送付により重大な精神的苦痛を被った。

(三) 原告の右精神的苦痛を慰謝するには、金銭的には少なくとも一〇〇〇万円を要する。

また、日体大関係者間で本件訴訟の帰趨に大きな関心が寄せられていること、被告側が大学事務局を広範に統括していることから、本件告訴により原告の名誉が毀損されたことを明確に周知徹底させるためには、新聞及び大学構内に、別紙一記載の謝罪広告を別紙二の条件により掲載することが必要である。

2  被告の主張(請求原因に対する認否及び抗弁)

(一) 被告は、原告らが敢行したジャーナリズムを悪用する卑劣不当な学長職辞任の強要未遂事件の被害者であり、極めて合理的な根拠に基づいて告訴権を行使したのであり、本件告訴は正当な権利行使である。

また、告訴権を行使するだけでは不特定多数の者に告訴事実を知られることはないから、公然と事実を摘示したことにならない。被告は原告を告訴したことを内密にしていたのであり、本件告訴の事実が学内の教職員らに広く知られるようになったのは、原告らが学内で集会を開くなどして、本件告訴の内容や取調べ状況等を自らに都合の良いように報告したことによる。

(二) 被告が書面(五)を配布したのは、原告が書面(四)を頒布して被告の名誉を毀損したため、被告は原告の主張の誤りを指摘して反論するためであり、書面(五)の記載内容は真実である。

四  反訴請求について

1  被告の主張(請求原因)

(一)(1) 原告は、平成五年二月四日、日体大の大学運営協議会の席上、同大学教授二〇数名らの面前で、被告に対し「新聞社から電話による問い合わせがあった。荏原高校から日体大を受験した学生の成績表を改ざんしたというのは事実かどうかとのことだ。」、「新聞の次は週刊誌だぞ。身辺を整理しておけ。」などと凄んで学長職の辞任を要求し、被告が右要求を拒否して学長職にとどまる場合は、被告の関与の下で推薦入学者Aの成績表が改ざんされ、Aを不法に入学させた旨の記事が新聞や週刊誌に掲載・頒布され、被告、A及び日体大の名誉及び信用が著しく害されるものと被告を困惑畏怖させて、被告に学長職を辞任させようとし、公然と虚偽の事実を摘示して被告の名誉を毀損するとともに、被告を脅迫して義務のないことを行わせようとした。

(2) さらに、原告は、他の被告訴人らと共謀し、本件告訴のとおり、被告の名誉を毀損し、被告を脅迫して学長職の辞任を強要しようとした。

(二) 原告は、書面(一)に書面(二)及び書面(三)を添付して多数の日体大教職員らに頒布し、被告が学長職にとどまるときは、被告が日体大の入学試験に際して、特定の生徒の成績表を改ざんさせて不正入学をさせたこと、多数の女性との不倫や金銭横領等の虚構の事実が存在したかのように記載された怪文書、週刊誌等が頒布されることにより、被告及び日体大の名誉及び信用が著しく害されるおそれがあると被告を困惑畏怖させることによって、被告に学長職を辞任させようとし、公然と虚偽の事実を摘示して被告の名誉を毀損するとともに、被告を脅迫して義務のないことを行わせようとした。

(三) 原告は、不起訴処分を受けたに過ぎないにもかかわらず、無実の判断がなされたかのように誇張し、また、被告が日本体育会理事会において懲戒処分の対象者として経営監査の指摘事項になっている旨の虚偽の記載をするなど歪曲した事実を記載した書面(四)を、不特定多数の日体大教職員組合員らに頒布し、公然と虚偽の事実を摘示して被告の名誉を毀損し、目前に迫った学長選挙を原告に有利にしようとした。

(四) 被告は、原告の右(一)ないし(三)の不法行為により、計り知れない精神的苦痛を被った。その苦痛を慰謝するには、金銭的には少なくとも一〇〇〇万円を要する。

また、被告の名誉を回復するには、別紙三記載の謝罪広告を別紙四の条件により掲載することが必要である。

2  原告の主張(請求原因に対する認否及び抗弁)

(一) 被告の前記1(一)の主張は、いずれも否認する。

(二)(1) 書面(一)及び書面(二)の記載内容は真実である。

仮にそうでないとしても、右記載内容は日体大全体の名誉に関する事項であり、公共の利害に関する事実に係るものであって、原告は、日体大の規程委員会委員長、特別問題対策委員会委員等の職務に関連して、公益を図る目的で作成し頒布したものであり、かつ、原告が右記載内容を真実であると信じたことについて相当の理由がある。

(2) 原告は、書面(一)に書面(二)を添付して送付したが、書面(三)は添付しておらず、書面(三)を頒布したことがない。

なお、原告が書面(一)及び書面(二)を添付して送付した当時、書面(三)のような怪文書は多数の日体大関係者に送付されており、その記載内容は東京周辺の日体大関係者にとっては周知の事実であったから、仮に原告が書面(三)を送付したとしても、被告の名誉がさらに毀損されることはなかった。

(三) 書面(四)についての被告の主張は争う。

第三  争点に対する判断

一  甲六の1ないし3、甲九、甲一四の11、甲一五の2ないし5、甲三八の2、乙四の1ないし10、乙七の1ないし3、乙九の2ないし4、乙一六、I、K及びTの各証言、原被告各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

1  日本荏原高校に在学する日体大の卒業生の子弟や日体大の教職員の子弟は、かつては、その内申成績を問わず、日体大への入学について一般推薦を受けることができたが、平成三年六月に、日体大の教授会において、評定平均値が3.0以上であることを一般推薦の条件とする旨の決定がなされた。

文部省は、平成四年一一月、日体大に対し、平成五年度の推薦入学試験に関して、①推薦入学は学力試験ではなく、調査書等を主体として合否を決定すること、②推薦入学の定員を明示すること、③能力・適性等に関する要件を具体的に定めること、④公平・公正かつ妥当な方法で実施することを指導した。そして、同月に実施された法人本部査察の際、右②についての指摘がなされた。

2  日体大教授の子弟であり、日体荏原高校に在学する生徒Aの評定平均値が右条件を満たさない2.8であったため、平成五年度の推薦入学に当たって、同生徒の両親はKに成績を上げてほしいと頼んだが、Kはこれを断って、評定平均値を2.8とする調査書を日体大に送付したところ、被告は、平成四年一〇月二八日、Kに電話をして、一般推薦に必要な評定平均値は3.0だが、日体大教授の子弟である生徒Aの成績は2.9になっている(実際には、前記のとおり2.8であった。)として、その見直しを求めた。そこで、Kは、生徒Aの担任教諭と相談の上で、指導要録の原簿自体は訂正せずに、大学に送付する同生徒の内申成績のみを右条件に合うように3.0と付け直した調査書を作成し、被告に送付し、その結果、同生徒は推薦入学に合格した。

3  原告、Tらは、平成五年一月ころ、父兄等から右の事実を聞き知り、Kに事実関係を問い合わせるなどした。

他方、Iは、同年二月ないし三月ころ、週刊ポストの編集部から、日体大に関する資料収集を命じられ、Kらに取材をした。Iが既にKが生徒Aの内申成績を見直したことを知っていたことから、Kは、Iに対して被告から見直しを求められた経緯を語った。その後、Kが、日本体育会理事の米本守(以下「米本」という。)及びTに右取材の内容を話した際、Kの進退問題等が話題に上った。

このような経緯から、Kは、平成五年四月一四日、被告に対し、概要、「Iから、Kが被告の要求により生徒Aの内申成績を改ざんしたことを文部省に知られると、Kの進退問題にもなりかねないが、Iの目的は被告を学長の座から降ろすことにあるから、被告が入稿日までに辞任すれば、生徒Aの入試問題を週刊ポストに取り上げないことにするので、それまでに被告に学長を辞任させるように言われた。」旨述べて、Iの要求に籍口して被告に辞任を要求した。そして、Kが、日体大の学長室長であったXの要求により、Iの取材状況についての報告書を作成したところ、X及び被告から、被告がKに生徒Aの評定平均値の見直しを求めた旨の記載を削除するように指示された。

4  平成四年一一月一八日ころから平成五年二月ころにかけて、「Wの悲劇」と記載された怪文書が学内で一〇回にわたって頒布された。その内容は、被告らが日体大を私物化しており、日体大の学生食堂の閉鎖には、被告らと学生食堂の女性社長との私情が絡んでいるなどというものであった。

被告は、教授会の内容が直ちに怪文書に記載されており、怪文書に沿った週刊誌や新聞の記事が掲載されていることから、内部の者が日体大の機密を漏洩しており、週刊誌や新聞の記者との関係も疑われるとして、平成五年四月一二日に、怪文書を追及することを目的とする特別問題対策委員会の設置を教授会に提案した。同日、原告やTらが同委員に選任されたが、原告やTの氏名が週刊誌の日体大に関する記事に掲載されていたことを理由として、委員の適否について紛糾するなどしたため、当初選出された委員によって構成されていた右委員会は、同年六月七日に解散した。

5  原告は、同年六月中旬ころ、書面(一)に書面(二)及び書面(三)を添付して日体大の関係者に配布し、生徒Aの一般推薦は不正入試に当たるなどと指摘した。

6  被告は、平成六年一月一〇日、本件告訴をした。

右告訴に係る強要未遂・名誉毀損被疑事件は、同年一二月二七日付で不起訴処分となった。原告は、被告の本件告訴が不起訴処分に終わったことを理由として、被告の懲戒処分を求める旨の平成七年二月五日付の書面(四)を作成し、日体大教職員組合の阿部委員長に送付した。そのころ、同文書をコピーした文書が同組合の組合員らに配布された。これに対して、被告は、検察官が不起訴処分をしたのは誤りであったとして、原告らが本件告訴に係る犯罪を行ったことを強調した書面(五)を作成し、同年三月一日に原告宛に、同月二日に阿部委員長宛に、それぞれ発送した。右書面は、遅くとも同月四日には原告らに到達した。

二  反訴請求原因(一)(原告及びKの言辞による強要及び名誉毀損)

1  前記第二の四(一)(1)(原告の言辞による強要未遂及び名誉毀損)

(一) 前記一2のとおり、被告は、Kに生徒Aの評定平均値の見直しを求めたことが認められる。

なお、被告は、本人尋問において、生徒Aの評定平均値の件でKに電話をした趣旨について、平成三年に評定平均値の条件が決定されるまで、日体大の教職員の子弟はその成績を問わずに日体大に入学できたことから、右の条件についてKが誤解をしていないかどうかを確認しただけであり、評定平均値を見直すように指示したのではないと供述する。しかし、前記一2のとおり、Kは生徒Aの両親からの依頼を断っていたのであるから、被告の依頼がなければ評定平均値を付け直すことはなかったと見られること、本件告訴状(甲二二、乙一)及び被告の平成七年一二月六日付準備書面にも被告が見直しを示唆した旨の記載があることからすれば、被告の電話における発言が、見直しという語句を用いたものであったかどうかはともかく、見直しを依頼する趣旨であったのは明らかである。

(二) ところで、大学は、私学といえども国家から補助金の交付を受けて運営されているのであって、それゆえに、前記一1において認定したとおり、文部省は、日体大に対して平成五年度の推薦入学試験を公平・公正かつ妥当な方法で実施するように指導したのである。このような大学の立場にかんがみれば、評定平均値3.0以上との条件を満たさない生徒について、指導要録の原簿自体を訂正することなく、大学に送付する内申成績のみを付け直して合格させるのは正当とは認めがたく、原告が、被告に対して、Kに成績の見直しを求めたことについての責任を問い、内部告発をほのめかす言辞をしたとしても、名誉毀損又は強要として不法行為を構成し、被告に損害賠償請求権等が発生するまでには至らないと解するのが相当である。

2  前記第二の四1(一)(2)(Kの言辞による強要未遂及び名誉毀損)

(一) Kは、Iから生徒Aの推薦入学についての取材を受けた際、Iから、右推薦入学についての記事が週刊ポスト平成五年四月二六日号に掲載されれば、Kの進退問題にも関わるが、取材の目的は被告を学長から降ろすことにあるから、入稿日である同年四月二一日までに被告が学長職を辞任すれば、記事を掲載しない旨を告げられたと証言する。

しかし、I証言によれば、Iはフリーライターであり、日体大とは何らの利害関係もない立場にあること、Iの取材は、生徒Aの推薦入学について不正が行われたとする無記名の文書を入手していた週刊ポストの編集部から、その記載内容についての取材を指示されたことから始まったのであって、それまでは日体大に対して何らの情報や関心も有していなかったこと、本件記事は、I及び他の記者の取材をもとにして、編集部のデスクが作成したものであって、Iは取材内容を記事にするかどうかや記事の内容を自由に決定できる立場になかったこと、他の週刊誌に掲載された同内容の記事(甲二の1、2)については、Iの関与がなかったことが認められる。以上の事実にかんがみれば、Iが、被告の辞職を求める動機を有していたとは認めがたく、右のK証言は到底信用できない。

したがって、原告がIらとの共謀の上、Kをして、被告に学長職を辞職させるように強要させ、被告の名誉を毀損した旨の被告の主張は認められない。

(二) 日体大の入試広報室長であった兼安正次郎(以下「兼安」という。)の陳述書(乙二〇、二二)には、Iが、日体大の教務部長であり入試実施本部長を務めていた富岡元信(以下「富岡」という。)を取材に訪れた際、原告から富岡に取材するように言われたと述べたこと、原告は、特別問題対策委員会の委員として、兼安に対し、日体大の学生食堂の閉鎖について被告の女性関係等が週刊誌で報道され、日体大に迷惑を掛けていることから、被告は辞職すべきであるなどと述べたことが記載されている。また、Kは、T及び米本から被告に辞職を要求するように依頼されたと証言する。しかし、仮にこれらの記載内容又は証言内容が真実であったとしても、KがIの要求に籍口して被告の辞職を求めたことについて、原告との共謀があったと推認することはできず、その他、前記一において認定した本件の経緯等を総合しても、Kの右言辞についての原告の関与を認めるに足りる証拠はないから、原告の関与についての被告の主張は推測の域を出ないといわざるを得ない。

三  本訴請求原因(一)(告訴)

1  告訴は、捜査機関に対して犯罪事実を申告し訴追を求める意思表示であって、犯罪の被害者その他一定の者に与えられた権利ではあるが、告訴によって被告訴人の名誉を毀損し人権を侵害するおそれがあることは、当然に予想されるから、告訴をしようとする者は、事実関係を十分調査し、証拠を検討して犯罪の嫌疑をかけることを相当とする客観的根拠を確認した上で告訴すべき注意義務を負うのであって、国家権力を利用して事実関係を調査するために、合理的な根拠もないのに告訴をすることが許されないことはいうまでもない。

ところで、IがKに対して被告の辞任を要求させた事実が認められないことは、前記二2(一)のとおりであり、日体大と利害関係があるとは考えがたい立場にあるフリーライターのIが、被告の辞職を求めたとのKの発言は、あまりに不自然であるにもかかわらず、被告本人尋問の結果によれば、被告は、Iに二度電話をしたところ二度とも偶然不在であったというだけで、Iに事実関係を確かめることをあきらめ、本件告訴事実があると軽信したというのである。そうすると、被告は、本件告訴事実を認めるべき客観的根拠がないにもかかわらず告訴をしたものとして、注意義務違反の誹りを免れない。

また、前記二2(二)のとおり、KがIの要求に籍口して被告に辞職を迫ったことについて、原告の関与があったと推認させる根拠も不十分である。

以上によれば、被告は、本件告訴に当たって、原告に犯罪の嫌疑をかけることを相当とする客観的根拠を確認すべき注意義務を怠ったものであり、右行為は不法行為に該当するというべきである。

そして、原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件告訴により警視庁玉川警察署及び東京地方検察庁において二度にわたり取調べを受け、精神的苦痛を被ったことが認められる。

2  主観的な名誉感情の侵害を超えて、社会的評価が低下されたというには、名誉を毀損する事実が一定の範囲に流布されることが必要である。ところで、甲一五の15、甲二七、乙二五、二七及び原告本人尋問の結果によれば、告訴人である被告は、平成六年二月一四日に開催された教授会において、I及びその関係者を告訴した旨の発言をしていたに過ぎず、Iを除く被告訴人が誰であるかを言明していなかった同年一月二五日ころ、原告やTが本件告訴を受けたことについて報告するために日体大の教室で集会を開催し、あるいは、原告自身が右教授会において被告に告訴された旨の発言をしたことによって、被告が原告を告訴した事実が広く学内に知られるようになったことが認められる。しかし、乙二七によれば、原告らが、右のとおり学内で報告をしたのは、大学の自治との関連で、被告が学長の立場を離れて個人的にI及び大学内の関係者を告訴したことの適否を学内で問題とするためであったと認められる。また、学内で辞任要求をしていた原告が、被告から刑事上の告訴を受けたことを知れば、その当否を改めて学内で問うことは当然のなりゆきであり、かかる事態は被告自身も予想していたものと推認できる。さらに、告訴に基づく捜査の過程で本件告訴の事実が他の被告訴人に知られたり、他の第三者に知られたことも推認される。

そうすると、本件告訴と告訴事実の流布による社会的評価の低下との間には、なお相当因果関係が認められるというべきである。

四  反訴請求原因(二)(書面(一)ないし(三)の頒布による名誉毀損)

1  前記一において認定した経緯にかんがみれば、原告が書面(一)及び書面(二)を配布した目的が、専ら公益を図る目的に出たものに当たらないとはいえない。

そして、書面(一)及び書面(二)の記載内容のうち、被告がKに対して、生徒Aの評定平均値の見直しを依頼し、その後、被告がKに見直しを求めた旨の報告書を書き換えるように要求したことは、前記一2のとおり真実であると認められる(なお、「改ざん」とは、字句等を不当に書き改めることをいうから、二1(二)に説示した事実関係にかんがみれば、右見直しの事実を「改ざん」と表現することが、事実を歪曲ないし誇張する不当な表現に当たるとはいえない。)。また、その余の記載内容も右の見直しの事実をめぐる被告の対応に対する批判を主題とする意見表明の域を出ていないから、書面(一)及び書面(二)の頒布行為は、名誉毀損としての違法性を欠くというべきである。

2(一)  原告は、書面(三)を送付したことはないと主張し、これに沿う証拠として、原告の本人尋問における供述がある。しかし、書面(二)の末尾には「匿名の学長糾弾と真相究明の激励文書が郵送されてきたので、これも資料として加えることにした」との記載があり、また、原告は、書面(一)ないし(三)を送付した旨記載した平成八年六月二一日付の準備書面を本訴口頭弁論において陳述しているのであって、これらの事実にかんがみれば、原告が、書面(一)に書面(二)のほか書面(三)も添付して、理事長らに渡した旨のXの陳述書(乙二四)は、信用することができる。

(二)  書面(三)の記載内容は、前記第二の二5のとおりであり、被告の社会的評価を低下させるものであることは明らかである。

この点について、原告は、当時、書面(三)のような怪文書が多数の日体大関係者に送付されており、その記載内容は東京周辺の日体大関係者にとっては周知の事実であったと主張するが、書面(三)自体及びこれと同内容の怪文書が日体大関係者に送付されていたことの証拠はない上に、仮に書面(三)の記載内容が、同書面の受領者に知れ渡っていたとしても、そのことによって、当然に名誉毀損の不法行為の成立が否定されるものではない。

よって、原告が書面(三)を配布した行為は、被告の名誉を毀損する不法行為に当たるというべきである。

五  反訴請求原因(三)(書面(四)の頒布による名誉毀損)

被告は、原告自身が書面(四)を日体大教職員組合の組合員にも送付したと主張するが、右事実を認めるに足りる確たる証拠はない。しかし、仮に右事実があったとしても、書面(四)の記載内容は、前記第二の二7のとおり、不起訴処分がなされた以上、捜査が継続されるものではないことを説明して、被告が本件告訴により原告の名誉を毀損したことを批判し、原告の名誉の回復を図った意見表明であり、被告の社会的評価を低下させるものではないと認められる。なお、書面(四)には、「理事会は懲戒処分の対象者として、現在その対応が、経営監査の指摘事項にも挙げられていますから、何らかの結論が出されることは必死です」との記載があるが、その意味するところは不明確である上に、仮に、被告主張のとおり、被告の懲戒処分が経営監査の指摘事項に挙げられていることを表現していると解したとしても、右の文脈全体を見れば、いずれ被告が懲戒処分を受けるか受けないかの結論が出されることを記載したに過ぎないから、被告の社会的評価を低下させるとまではいうことができない。

六  本訴請求原因(二)(書面(五)の頒布による名誉毀損)

書面(五)は、前記第二の二8のとおり、原告らが口裏を合わせて虚偽の弁解をし、K一人に責任をなすりつけたために、本件告訴事実について不起訴処分がなされたが、原告らの犯罪行為は証拠上明白であるなどと記載されたものであり、原告の社会的評価を低下させるものであって、その内容の真実性についての立証もない。

なお、被告は、書面(四)が法律的に正確でないために反論したとするが、原告らの犯罪の嫌疑を強調した書面(五)を頒布することは、正当な権利の行使に当たらず、違法性は阻却されない。

七  慰謝料及び謝罪広告

1  被告による名誉毀損について

(一)  被告は、本件告訴に当たって、Iに対して事実関係を問い合わせていないなど、ほぼ何の調査もしていないに等しいこと、その他本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、原告が本件告訴によって被った精神的損害を慰謝するには、九〇万円が相当である。

また、書面(五)は本件告訴の事実を既に知っていた日体大の関係者にのみ頒布されたと認められることにかんがみれば、原告が書面(五)の頒布によって被った精神的損害を慰謝するには、一〇万円が相当である。

(二)  弁論の全趣旨によれば、本件告訴の事実は学内で広く知られており、現在も学内において高い関心を集めていることが認められるものの、新聞・雑誌等によって、本件告訴に関して原告の氏名が報道されたことの証拠はないから、本件告訴による原告の名誉毀損の被害を回復するためには、日体大の構内に別紙一の謝罪広告を掲載する必要があり、かつそれで足りると解される。

2  原告による名誉毀損について

(一)  書面(三)の記載内容が前記第二の二5のとおり多岐にわたること、他方、原告が書面(一)を日体大関係者一五名に交付した旨の原告本人の供述によれば、同書面に添付された書面(三)の配布状況も右と同様であったと認められること等を総合考慮すれば、被告が書面(三)の頒布によって被った精神的損害を慰謝するには、一〇万円が相当である。

(二) 前示のとおり、原告が被告に対して、ジャーナリズムを悪用するなどして被告の名誉を毀損し、あるいは被告に学長職を辞任させようとした事実は認められないから、被告の謝罪広告の請求は理由がない。

八  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、被告に慰謝料一〇〇万円及び内金九〇万円に対しては本件告訴による不法行為の後である平成六年三月四日から、内金一〇万円に対しては書面(五)の送付による不法行為の日と認められる平成七年三月四日から、各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払い並びに別紙二の二記載の条件で別紙一記載の謝罪広告の掲載を求める限度で、また、被告の反訴請求は、原告に一〇万円及びこれに対する書面(三)の頒布による不法行為の後である平成八年一月一八日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、それぞれ理由があるから、これを認容し、原告及び被告のその余の請求は、いずれも理由がないのでこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官南敏文 裁判官小西義博 裁判官納谷麻里子)

別紙三、四〈省略〉

別紙一 謝罪広告(お詫び)

私の不注意により、軽々しく、貴殿を強要未遂罪の被疑者として警視庁(玉川警察署)に告訴しましたが、この告訴により貴方の名誉を大きく棄損し、貴方に大きなご迷惑をお掛けしました。このような結果を与えたことは、私の間違いによることで、お詫びいたします。

貴方及びご家族にご迷惑をお掛けしましたことを申し訳なく思います。

平成 年 月 日

日本体育大学学長 乙山次郎

日体大教授 甲野太郎様

別紙二 掲載条件

一 新聞

1 掲載紙は、朝日新聞で、東京都世田谷区及び東京都狛江市に配布するもの。

2 使用活字は、「謝罪広告(お詫び)」及び各氏名欄は二倍活字、その他本文は一倍活字により、段二欄で、横5.5糎以上の欄を用いること。

3 日付は新聞発行日を記載のこと。

4掲載日は一日間。

二 大学構内掲示

1 日体大構内にある大学用掲示板のすべてに掲示すること。

2 掲示する用紙はA3用紙を用い、掲載期間は掲載日から一週間。

3 使用文字の大きさは、「謝罪広告(お詫び)」及び各氏名欄は基本的に四糎×四糎以上によること。使用書体は楷書体のこと。

4 日付は掲載日を記載のこと。

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